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4.水曜日

 

 学校と言うものは奇妙だ。

見ず知らずの人間にも関わらず、同じ年度の生まれの同じ地区に住んでいるという理由だけで千人近くの人間が同じ建物に詰め込まれ同じように学校に出向いていつ使うか分からないようなこと学び続けている。誰しもが通る道ではあるし、勉学というものが悪いと言いたいわけではないのだが、学校というシステムはなかなか奇妙だ。

休み時間、廊下を歩いていると突然目の前に江本現れた。

先日のように僕のことを無視するかと思いきや、すれ違いざまに捕獲された。

あまりに突然の事で逃げる事も叶わず、横目で睨みを利かしてくる江本の迫力を前に僕は大人しく従うことにした。

「なんでしょうか、かなり驚いたんですけど」

廊下の片隅に連行された僕は極めて冷静に言うが、彼女は鋭い目つきのまま念を押した。

「ちょっと君、この前の約束は覚えているでしょうね」

「記憶力は人並だから覚えてはいるけど、改めて言おう。なんで僕が猫殺しの犯人なんか捜さなきゃいけないんだ?」

なんだか江本のペースになりがちだったのでとりあえず抗議しておく。自分を取り戻すんだ。ガンバレ僕。しかし江本は取り付く島もない。

「君もしつこいわね。しつこい男は嫌われるわよ」

「しつこいのは君だろ」

 僕の棘のある物言いに江本はさらりと返す。

「私は男じゃありませんから」

ごもっとも。どうやら口では江本に勝てそうも無い。いや、江本に他の面でも勝てることはないかもしれないことに気付き、少しだけブルーになる。

「それで君は僕に何をする事を求めるんだ?」

 まさかとって食われるわけでもないだろうし、先日承諾したのも事実だ。

「そうね、とりあえずは……」

江本が言いかけたときだった。彼女は僕の背後からやってきた人間に気付き、軽く会釈した。僕の真後ろなので誰かは分からないが僕に対するのとは全然違う対応だ。僕と会話するときも一割ぐらい優等生を含有してくれればいいのに。僕も裏江本を知らずに出会えば優等生モードの江本として接してくれたのだろうか?今となっては検証のしようもないが。

その背後からやってきた人物は近付いてきて僕にも見える位置に立った。頭の良さそうな上級生の男子だった。ちなみに僕の知らない顔だ。

「ちょっと江本さん、今いいかな?」

彼は僕のほうをちらと伺い彼女に尋ねた。

「ええ、どうぞ」

江本は僕には見せない人当たりの良い笑顔を浮かべてその男子生徒に応え、僕から少し離れた所で会話を始めた。今のうちに逃げちゃおうかとも考えたが後が怖いので止めておく。

数分して江本が戻ってきた。僕の前に立つなり裏江本にモード切り替え。まったく嫌になるほどジキルとハイドだ。使い分けがきっちりしている。

「あれ、誰?」

特に興味もないし、関係もないのだがとりあえず訊いてみた。場のつなぎってやつだ。

「写真部の部長の堤慶介さん」

「写真部の部長?そんな人間がなんで君に?」

「だって私、写真部だもの」

さも当然の事のように言うが、知らねえよそんな情報。っていうか写真部?

「初耳にミミズだな。てっきり君も帰宅部かと思った」

「気持ち悪いことわざを作らないでくれる?それに私はこれでもクラス議長もやってますから。協調性皆無の君と一緒にしないでくれます?」

さりげなく突っ込みをいれる江本。僕のボケは無視かと思った。ちょっと嬉しい。

それにしても部活に委員の二足のわらじとは立派なものだ。僕といえば運が強いだけの理由で委員の類は一度もやっていない。というかこの人には一体どれだけの時間があるのだろうか?

学年トップの成績を維持し、部活に入り、委員をやって、僕にも劣らないゲーマーである。絶対に江本の時間は人より多い。きっと時空を歪める装置か何かを持っているに違いない。それを使って江本は人より多くの時間を過ごしているのだ。もしそうなら江本は他人より早く歳をとる。美容のために止めるように忠告すべきか。

「何変なこと考えてるの?」

「……別に」

勘のいい江本は僕の思考の暴走に気付き空想世界を強制終了させる。

僕は我に返り、廊下の窓から外を覗いた。

「そうそう彼ね、いくつかコンクールで賞をとったことがあって、私を被写体にした写真が市のコンクールに入賞した事もあるのよ」

「え?ヌード?」

間髪いれずに脇腹を殴られた。しかもグーで。

「下品です。しかも面白くありません」

「……はい、すみません」

僕は痛む脇腹を押さえつつ謝罪。確かにお下品でした。以後発言自粛。

江本は堤の写真の事を言っているより、自分が被写体になった写真であることのほうに重点を置いて話しているようだ。

「それは素材が良かったと言いたいわけでしょうか?」

「誰もそんなこと言ってません」

でも顔を見る限りそう言ってもらいたかったようだ。

「とにかく放課後に例の場所に来なさい」

江本は念を押すとさっさと行ってしまった。その場に取り残された僕はため息をつく。

どうやら僕の安息な日々はなくなってしまったようだ。なぜ好き好んで猫殺しの犯人を捜さねばいけないんだ?

「かーけーるー」

 背後から嫌な声が聞こえてきた。僕が振り返ると、そこには晋悟の姿があった。その顔にはにやついた表情が張り付いている。

「あれ?今のは例の江本茜じゃないか?どういうご関係?この前の話と関係あり?どうしちゃったのかな翔くん」

「うるさいな、今機嫌が悪いぞ」

今の僕に晋悟を相手にする気力はない。僕は軽く手を振って晋悟を遠ざけようとするが無駄だった。僕にはもう残りの授業を元気に受ける気力はなくなっていた。

 

 しかしまあ、なんて僕は律儀なんだ。少しだけため息をつく。

放課後になって僕は江本との約束を守り、猫の死体を発見した例の場所に来ていた。しかしながら江本の姿はなく、しばらく待っても現れる様子がないため帰ろうかとも思ったが、後々呪われるのも嫌なので根気強く待つことにした。

 僕は退屈紛れに昨日の江本とのゲームについて考えた。

 果たして僕に勝機はあったのか?もし江本が全てのパターンを理解していたとしたら僕に勝ち目は無いんじゃないのか?そう思い僕はパターンをノートに書き出してみることにした。

 まず一手目は考えるまでもない。二手目、つまり僕の時で2つのパターンに分けられる。相手側のリーチにより選択肢がない場合を除いてそこから鼠算式にパターンは広がっていく。

 パターンを書き終え、結果を眺めてみる。

 殆どの場合において先手が勝てるパターンが存在する。だがどの先手の勝利パターンにおいても後手が引き分けへと誘導できるパターンが存在した。

 結論を言うとかなりの高確率で先手が勝利できるが、十割の確率で後手が引き分けに出来る。つまり僕に十二分に勝機はあった、ということだ。

 つまり江本はフェアだった。僕が馬鹿なだけだった。

僕がその結論に至った時、彼女はやって来た。待ち合わせる時間を決めてはいなかったので遅刻と言うわけではなかったが、遅れてやって来た江本は僕の渋い顔を見るなり悪びれた様子もなく、化粧品の広告のような台詞を吐いた。

「遅刻は女性の特権です」

はっきり言って誤魔化しの言い訳にすぎない。だが僕には反論する気力はないので聞き流すことにする。そもそもこの場に来るのでさえ、嫌々なのだからやる気がないのも仕方がないと思って欲しい。

「それで?手がかりを探すのか?」

「そうね、猫の死体は警察が処分してしまったようなのが残念だけど仕方ないわね」

もしかしたら猫の死体があったら司法解剖とかする気だったのかもしれないと思い、少し背中の方が涼しくなった。犯人よりもサディストじゃないのか?

「ええと、見つけたのは昨日の午後四時すぎ、で良かったわよね?」

「それぐらいだったと思うけどね」

僕は適当に相槌を打ちながら猫の死体があった場所にかがんだ。昨日そこにあった生物の残骸の痕跡すらなく、ただ土が湿っているだけだった。

僕の後ろでは発見した日と同じように江本がデジタルカメラで周囲を撮影している。彼女の表情は真剣でお遊びという感じがしない。彼女は本気で猫殺しの犯人を捜す気らしかった。

僕はため息をつく。仕方がない。いずれにせよクリア条件は江本を満足させると言うアバウトなもので、彼女が開放してくれない限り帰ることは出来ないのだ。僕も真面目に手がかりを探す事にする。

そこで僕はあることに気付いた。なんで猫はいとも簡単に殺されたんだ?もしやと思い周囲を調べてみる。予想通りのものがそこにあった。

「なあ、おかしいと思わないか?」

「何の事?」

「だって相手は猫だ。一撃で頭を破壊なんてできないだろ」

「重い石を振りかぶれば難しくはないと思うけど?」

僕の言葉の意味が分からないと言いたげな険しい表情で江本は僕を見た。僕が言いたいのはそういうことじゃない。

「そうじゃなくて野良猫ほど警戒心のある動物の頭を一撃で仕留めてることがおかしいって言ってるんだ」

「まさか」

江本は息を呑んだ。彼女にも僕の言葉の意図が分かったようだった。

「それにこれ見てみろよ」

僕の指差した先には土の上に微妙に円を描かれているところがある。この跡がなんなのか察しのいい人間なら誰でも気付くだろう。

「これってエサ箱の跡?」

「たぶん。それにコレも落ちてた」

僕はティッシュに包んださっき見つけた茶色い丸い物体を江本に見せた。ドライタイプのエサだった。

「なるほどね。猫をエサで釣って、食べてる隙に撲殺したってわけ」

「まあそんなところだろうね。あらかじめ餌付けをしていれば猫の個体数も確認できるし、警戒心を解く事もできる。犯人は恐らく何度かここに来て猫にエサをやってただろう」

まだ釈然としないところもあるが、粗方そんなところだろう。

「殺害した手口は分かったわ。問題は犯人を突き止める手がかりね……何か無いの?」

「そうだな……強いて言えばこのキャットフードだろ。販売した店をあたれば犯人の生活圏ぐらいはわかるかもしれない」

僕の発言に問題外と言いたげに江本は首を横に振った。その仕草がいかにも優等生で、計算しつくされた動きは周囲を意識したものだった。

「何を警察みたいなことを言っているの?私たちにそんな機動力があるわけがないでしょう。もっと探偵らしい論理で犯人を突き止めるような手がかりは無いの?」

これはゲームじゃない。そんな都合よく犯人が手がかりを残していくわけがないだろう。それにストーリー進行に必要なアイテムに矢印が表記されてるわけでも、アイテムが光っているわけでもない。そんなに簡単に見つかるわけが無い。

「見ての通り、何もない空き地だ。草が茂り、犯人の足跡もろくに取れないようなところだ。結構奥まってる所だから目撃証言もないだろうし、猫を殺すぐらいで遺留品を残しているとも思えない」

 僕らには科学捜査する手段はなく、名探偵のような洞察力や観察力もない。そもそも推理小説のように限られた登場人物の中に犯人がいるわけでもないので僕らが犯人を特定するなんてまず不可能だった。

 しかし江本はそんな事は露ほども思ってはいないらしく、犯人を突き止めることができると思っているようだった。なんというか羨ましいぐらいの自信だ。

「他の猫殺しも調べないといけないわね」

そんな自信家の江本は腰に手を当てながら呟いた。その呟きに僕も頷く。

「そうだろうね」

 犯人の手がかりを得るために出来るだけ多くの現場へ赴く必要があるのは理解できる。ただしたくはないけど。

「私はどこで起きたのか知らないわよ」

「僕も知らない。どうするんだ?」

「調べなさいよ」

 にべもなく言い切る江本に僕も面食らう。

「……って僕がか?」

「協力的じゃないわね。それくらいできるでしょう?」

なんじゃそら。別に江本自身がやっても問題はないと思うのだが、僕は口にしない。反抗しても無駄だと気付いたからだ。

 とりあえず当てになりそうな人物が近所に住んでいることに気付き口を開いた。

「……ここら辺なら倉田さんに聞けば知ってるかもな。あの人、こういう話好きそうだし」

「倉田さんって誰よ。勝手に登場人物を増やさないでくれない?」

江本が怪訝な表情で僕を見る。僕も怪訝な表情で江本を見た。

「倉田さんを知らないのか?ゲーマーのくせに」

「私はゲーマーじゃないわよ」

大抵のゲーマーはオタクと同じように自分がそうであることを否定してそう言うものだ。

他のオタクと比較して自分はあいつほどじゃないと言って自分がオタクであることを否定するが、実際のところ一般人には軽度か重度かに関わりなくオタクで分別されるなのだ。

まあそんなことはどうでもいい。

「倉田さんはここらで有名なゲーマーだよ。なんかのゲーム雑誌にも載ったことがあるらしくてこの周辺のディープなゲーマーの間ではちょっとは有名な人だよ」

「だから私は知らないって言ってるでしょ」

尚も江本は抗議する。なんというか頑固だ。

「……とにかく倉田さんはこの近くに住んでるから、もしかしたら猫殺しのことを知ってるかもしれない」

僕の提案に異議を唱えようにも他の有効な案が浮かばなかったのか、不満そうな表情のまま江本は僕に従うことにしたようだった。

そして僕らが行き着いたのがボロい一軒家と表現するのが一番ぴったりな住居。モルタル木造平屋建て。火を点けたらよく燃えそうだ。

「ここ?」

少しだけ不安そうに江本が僕に尋ねた。事前知識なしではあまり近付きたくはない家であることは否定しない。僕は頷くと玄関には向かわずに裏手へ回る。それがここの礼儀だ。

ベランダの引き戸を開け放して大音量でモーツァルトを流している。ご在宅のようだ。

「倉田さん、いますか?」

これでいないはずが無いが、とりあえず室内に向かって呼びかける。

しばらく反応が無く、少しだけ不安になったが奥からTシャツにジーパンというラフなスタイルの男が出てきた。倉田雅典、その人だった。

倉田さんは僕の顔を見て笑みを浮かべた。

「おう、アスか。どうした?」

「倉田さん、現実世界では本名で呼んでください」

 僕の苦い顔を見て倉田さんは更に笑みを浮かべる。どうやら僕をアスと呼んだのはわざとらしい。

 ソリッドフェンサーでは屈強な男EDである倉田さんだが、現実世界でもゲーマーの雰囲気を感じさせないごつい体つきをしている。

「悪いな、ちょっとこっちとあっちが混同しているんだ。……ところで後ろの子誰だ?彼女か?」

倉田さんは僕の後ろに立つ江本に興味を示した。僕はここに何度か来た事があるが、誰かを連れてきたことは一度もないからだろう。興味を示して当然だ。しかしながら恋人と考えるのは早計というものだ。

「なんで僕の親でもないあなたの所に恋人を連れてこなきゃいけないんですか」

「それもそうだが、何者だ?」

「うちの学校の優等生でゲームをたしなむ猫かぶりの写真部員」

背後から蹴られた。もちろん攻撃主は江本だ。

「誰がステータスを教えろと言った。お前との関係に決まってるだろ」

そう尋ねられては正直返答に困る。一体どういうご関係なのでしょう。

 答えに困る僕の反応を見た倉田さんは興味をなくしたように僕らを見た。

「というか来るなら手ぶらで来るなよな。お土産とか無いのか?」

「高校生にたかるんですか」

「現実世界でも向こうでも金はかかるからな。無駄遣いは出来ない」

 倉田さんは手で仰ぎ、眩しい日差しに目を細めた。

「アイス食いたいな、アイス」

「まだ早くないですか?」

 まだ今月は四季では春と分類されるであろう気候だ。今日も日差しは強いが熱いという訳ではない。しかし倉田さんは首を横に振った。

「冬でもアイスは売ってるんだ、気にする必要は無い。……ところで今日は何の用だ?」

「ええと……なんでしたっけ?」

 何の用事でここに来たんだっけ?江本を窺うと僕を睨みつけてくる。……ああ、そうだ猫殺しの情報を尋ねるんだった。

 しかし僕が本題を切り出す前に倉田さんが僕に問いかけてきた。

「ゲームでもするか?スタンドアロンゲームだけど」

 江本がその言葉に反応する。

孤立無援(スタンドアロン)?」

「ネットに接続されていない独立した家庭用(コンシューマ)ゲームのこと」

 僕の説明に納得したように江本が頷く。それから江本は室内を見渡して不思議そうに倉田さんに尋ねた。

「なんで同じゲーム機が何台もあるんですか?」

「カートリッジ式の8ビットゲーム機はなかなか手に入らないことが多いからな。当然ながら予備も買っておくんだ」

「当然、ですか」

 江本は呆れたように倉田さんを見る。

「当たり前だ。常識だぞ。ただでさえ端子の接続とかに不備が出やすいからな。こいつもなかなかコツがいるんだ」

そう言って倉田さんは嬉々とした表情で懐かしいゲーム機を手元に引き寄せる。

「確かに8ビット機は平面な粗いドットで表現された単調なストーリーがほとんどだ。コントローラも単純に十字キーにボタンが二つ。今のコントローラはゲームの複雑化と共に進化し、アナログスティックにボタンが軽く8つは付いてやがる。確かにグラフィック、内容や技術面では初期ゲームは見劣りがするだろう。だが今も尚親しまれる名作が多い。どんなにグラフィックが実写と見紛うようになっても、サウンドがハイクオリティーになっても子供のときに始めて触れたあの感動には勝てねぇんだよ」

 クラシカルなサウンドと共に粗いドットのキャラクタが動き回るデモがブラウン管に映し出された。

「初期のゲームの多くはアクションだが、コンシューマだからこそ発展したRPGなんかがある。他にパソコンゲームで発展したアドベンチャーゲームの移植版なんかもあった。これがなかなか難しくて俺もクリアするのにかなり時間を食った。戦闘なんかあっちむいてほいでさ……」

 饒舌になった倉田さんに江本はドン引きしている。

「まあ、80年代からパソコンで発展したコマンド選択型のアドベンチャーゲームが現代の美少女ゲームへと繋がるわけだが……」

 途中で倉田さんは江本が引いていることに気付いたらしい。咳払いを一つして江本を見た。

「ところでそっちの彼女、えーと……」

「江本です。江本茜」

「江本さん、君は何かゲームをするのか?」

「格闘ゲームなら」

 見た目は優等生の江本の口から格ゲーが出たことを意外に思ったのか、へぇと声を漏らす倉田さん。しかしゲームソフトやら何やらが詰まった棚を見やると的確にソフトを選び出し、ひとつのゲームソフトを取り出した。

「今どき格ゲーとは珍しいな。ええと格ゲーならこれだな」

カセットタイプではなくCD‐ROMタイプのゲームソフトだ。タイトルは僕が小学生の頃流行った2D格闘ゲームの移植版で、僕は持っていなかったが友達の家に集まって遊んだ記憶がある。

倉田さんは比較的近年出回ったCD‐ROM媒体のゲーム機を取り出してテレビに接続し始め、ついでとばかりに薀蓄を披露し始めた。

「80年代にも格ゲーはあったがブームを引き起こしたのは90年代のことで、アーケードで登場したコマンド入力式の必殺技を用いるシステムが確立され、それから爆発的に格ゲーが広まった。当初は2D対戦型が主流であったが3D対戦型も徐々に普及し、独自のシステムを用いて2D格闘型との差別化を図っていった。結果色々な代表的格ゲーが作られた。しかしながらブームが強まるに連れて操作系統は複雑化していき、初心者プレイヤーの参入を拒み、マニアックになっていく結果となった。またアーケードゲームにおいても初心者がシステムに慣れるまでに上級者に乱入されて敗北し、十分な時間をとれず格ゲーから離れていく要因となり、それにプレイ時間が保証されていないなどコストパフォーマンスにおいても他のアーケードゲームに比べて劣るため現在ではゲーセンにおいて減少化傾向にある。つまり今じゃ格ゲーはマニアックなゲームになっちまったってわけだ」

江本はというと倉田さんの薀蓄を聞かずにパッケージの中の説明書を取り出して読んでいる。

「なにしてる?」

「見て分からない?説明書を読んでるのよ」

説明書には基本的な操作方法、キャラクタとそれに固有の必殺技のコマンドが幾つか載せられている。彼女はそれを覚えようと言うのだろう。優等生らしい考え方だ。

「そんじゃあ最初は翔、お前がやれ」

僕はゲーム機を接続し終えた倉田さんに言われるままにコントローラを握った。

僕はスタンダードなPCを選択。多くのゲームでは主人公キャラが平均的なステータスを持っており扱いやすい。初心者というわけでもないが、ブランク期間が長い僕はあえてこれを選択した。

 NPC、格ゲーでは主にCPUと呼ばれるコンピュータキャラを相手に戦闘を開始。操作方法を思い出しながら着実にCPUの体力ゲージを削っていく。最初は必殺技のコマンド入力に戸惑って何度か失敗したが、思い出すにつれて成功率は上がっていった。

 複数のボタンを組み合わせて必殺技を発動させるコマンド技はゲームやキャラクタによってそのコマンドが違うが、多くのゲームではコマンド入力システムを確立したゲームのコマンドが併用されている事が多い。俗に言う波動コマンド、昇竜コマンド、竜巻コマンドなどである。

 問題なくCPUから2ラウンド奪うと、丁度江本が説明書をパッケージに戻すところだった。

「対戦するか?」

「いいわ、やりましょう」

準備完了のようだ。倉田さんは江本の様子を見て面白そうに笑みを浮かべると、江本にコントローラを手渡した。

彼女はスピードを重視した主人公キャラのライバル的PCを選択。女性にありがちな見た目の可愛さとかでPCを選択しないところが江本らしい。

僕はそのまま同じPCを選択した。

ステージがランダムに選ばれ、カウントダウンが始まる。

ステージに属性などなく試合に影響は及ぼさない。場外などもなく、ただ相手の体力ゲージを先にゼロにしたほうが勝ちという単純なルールだ。ただ自分の腕だけが、勝敗の決め手になる。

試合開始の合図と共に江本のPCが先に動いた。

操作方法にまだ慣れていないからすぐに攻めてくるとは思わなかったので反応が遅くなり軽くダメージを受けるが、牽制の繰り出しの速い弱パンチで間合いをもつ。

2Dで表示されるため、移動範囲は前後と上下のみに制限される。つまり相手を間合いに入れやすくもあり、相手の間合いに入りやすくもあるということだ。

格闘ゲームの要点は攻撃とガードのタイミング。相手の攻撃の隙間に攻撃を打ち込み、相手の攻撃が届かないところから攻撃を入れ、反撃の暇を与えずに連続コンボで体力ゲージを一気に削るのだ。理屈は簡単でも、実践は難しい。

江本はこのゲームは初めてとは言え、このゲームは格ゲーの基本的なシステムを採用しているし、江本は格ゲーには慣れ親しんでいるので一筋縄にはいかない。

僕は一番出しやすい波動系の技で遠距離から攻撃。江本はそれをジャンプしてかわすが僕がその隙に間合いに入り込み攻撃を仕掛ける。

波動系の技にはガードは完全には効かない。だからダメージを避けるには江本は逃げるしかない。その隙を突く攻撃だった。

江本のPCが空中にいるところを通常技で拾い、続けて昇竜コマンドを入力して通常技のバックモーションをキャンセル。連続技へと持ち込む。しかしまだ勘が鈍っているようで連続技は数発しか入らなかった。

 しかしなんとか順調に江本の体力を削り続けてラウンドを制した。

 KOという表記と江本の使用PCが倒れる様子を見ていた江本は少し悔しげだった。結構マジのようで、手のひらの汗を無意識のうちに制服で拭っている。

ゴングと共に2ラウンド目が始まる。

3ラウンド制のの2ラウンド先取。つまり僕がこのラウンドを勝てばそれで終わりだ。

江本は速攻で攻めてくる事はなく、普通に打ち合いから始まった。

波動系の必殺技で遠距離から攻撃。ガードの隙を突くさっきも使ったコンボへと繋げる一手だ。江本が攻撃から逃げている間に間合いへと侵入する算段だった。

しかしそこは江本だった。同じ手は二度も食わない。すぐさま同系列の波動技を繰り出し、隙を誘うための僕の攻撃は相殺される。

なるほどこれはもう利かないか。

僕は攻め方を変えて違う連続技を試そうとしたとき、唐突に江本のPCが動いた。

必殺技から連動させた連続コンボ。さっき僕がやった連続技だ。

今日はじめてこのゲームをやった人間がすることじゃない。バックステップで避けるがそれでも何発か食らってしまった。これは気が抜けない。

僕はいろいろと連続技を仕掛け、なんとか着実にダメージを与えていった。

結構いい勝負だがまだ僕の方が体力ゲージに余裕がある。このまま「待ち」の姿勢でいても勝てるだろう。

「待ち」とは近付いてきた相手の行動に対応して攻撃する戦い方で、格ゲーをする人の間では安易で卑怯な戦法であるという否定的な意見があり、また格ゲーは競技と捉えてルールの範囲内の行為であると肯定する人もいてなかなか微妙な問題でもある。

いずれにせよ僕は「待ち」はしない。基本的にそれが嫌いという理由もあるが江本は油断ならない強敵だ。手を抜けばそこから喰らいついてくるだろう。

だから僕は先に仕掛ける。決して負けないように。

僕は先と同じ波動系の技のコマンドを入力。そして技の発動。江本はそれを見越して波動系のコマンドの入力し、呆気なく僕の攻撃は防がれる。

だが僕の攻撃はこれで終わらない。進撃せずに更にもう一度波動技を仕掛ける。

これは江本の意表をついたようだった。

彼女はもう一度コマンドを入力するが焦って失敗し、技は発動しない。僕は彼女の経験不足を狙い、コマンド入力ミスを誘ったのだ。

僕の攻撃を防ぐ事のできない彼女は逃げに転じるが、そこを僕の打撃攻撃が拾う。

あとは連続コンボ。逃れる事はできずに江本のPCのゲージは減っていく。そして一際大きなエフェクトと共に江本のゲージはゼロになる。

2ラウンド先取。僕の勝ちだった。

「ああ、もう!なんで勝てないのかしら」

 江本はコントローラを置くとため息をついた。そんなに僕に勝てなかったのが悔しいらしい。江本は初めてやったにしてはかなり強く善戦した。もう一度やればたぶん僕は負けるだろう。

「君はこのゲーム初めてなんだろ?僕はそれなりにやってるから経験が違うよ」

「……いいわ、でもそう簡単には勝てそうにないわね。ところで君、私達は遊びに来たのではなくってよ」

 僕を非難するように江本は見る。自分も思いっきりゲームで遊んでたじゃないか。まあ僕も人の事言えないけど。

「倉田さん、私達はゲームをしにきたのではありません。あることを尋ねたいのですけど」

「あん?ある事ってなんだ?」

江本が僕を突っつき、僕が尋ねるようにと促した。そこまで言ってなぜ自分で言わない?疑問に思うが仕方なく僕が口を開く。

「倉田さん、この近くで猫が殺されたっていう話聞いたことありませんか?」

「そういやこの前、駅の近くの空き地で猫の他殺死体見つかったとか言ってたな。それがどうかしたか?」

それは僕らが第一発見者となったもののようだった。だが聞きたいのは他の件のことだ。

「他には?」

「いや、ここらじゃ聞かないな」

どうやら空振りに終わったようだった。江本は少し期待はずれのようなため息をつき、僕を見た。ちょっと非難めいた視線だ。僕を責めても困る話だ。最初に僕も断っていたはずだ。  

もしかしたら、と。

 諦めたように江本は腰を上げた。

「それじゃあ私はそろそろ失礼します」

「じゃあ僕も帰ろうかな」

江本に従って僕も立つ。そんな僕に向かって倉田さんが声をかけた。

「そうだ、841が今日集まるって言ってたぞ」

「つまり強制参加っていうことですか」

「そういうことだ」

 倉田さんは笑みを浮かべる。

 GvGに参加を決めた以上仕方のないことだと諦める他ないようだった。

「分かりました。じゃあ今夜」

 倉田さんの家を出ると江本は攻めるような目で僕を見た。

「今日の収穫はほとんどなしね」

 江本の口ぶりから明日も捜査があることが予測される。つまり今日は小手初めってわけだ。

「明日もやりますから、ある程度調べてくるように」

 調べるってどうやれというんだ?学校の授業の予習じゃないんだからさ……。

 僕が問う前に江本はさっさと歩いていってしまった。

 

 

 僕は時々ネットの住人で、僕は時々普通の高校生だ。

 ゲーマーとしてもネット依存者としても中途半端だし、青春を横臥する高校生としても中途半端だろう。だが僕はソリッドフェンサーに入り浸っているヘビーユーザーに憧れているわけでもないし、青春映画に出てくる無駄に顔のいい主人公に憧れているわけでもない。今のままの僕で十分だ。

 でも時々中途半端すぎて嫌になることがある。羽化できずにさなぎのままでいる蝶のような気分になることがある。僕は何にもなりきれず、一生生温いままなんじゃないか、という嫌な考えが頭に浮かびすぐに打ち消す。そういったセンチメンタルな考えは何かと忙しい日常に埋没して忘れていくが、時々思い出したように顔を覗かせ僕を不愉快にする。

 それが堪らなく嫌なんだ。

ED: どうした?〉

 EDが身動き一つしない僕を気遣うように声をかけてきた。

〈*: いえ、なんでもないです〉

 僕は曖昧に返事を返し、それから841が来るまでEDと会話を交わした。

 841がやってきたのは時間丁度で、さながら授業を受け持つ教師のようだ。

 〝クレイドゥル・オブ・ムーン〟にやってきた841は出欠を取るように全員を見渡し、メンバーが足りない事に気付いたようだった。

841: あら?アースは?〉

 841は周囲を見渡すが反応は無い。

 誰もそのアースというPCの所在について知らないようで841が少し苛立ち始めたとき、問題のPCが姿を現した。

 西洋の甲冑のような鎧をまとい、大剣と大盾を持つ生粋の重騎士だ。

そのPCがやってくるのを見とめた841はまるで子供を叱る母親のように841はアースを注意した。

841: アース、何やってたの?ちゃんと集合時間を教えておいたでしょ?ちゃんと守りなさいよガキじゃないんだから〉

earth: すんません。ここに来る途中でケンカっちゅうか決闘を吹っかけられて。俺ってほら売られたケンカは買う主義やんか?ちょっと面白そうやったから相手してやったんやけど強い強い。全然あかんかったわ〉

841: あなたが負けたの?〉

 841は訝しげに尋ねた。

earth: そや、俺が重騎士やから負けたのかもしれんけどな。やたらとすばしっこいし、蛇みたいな奴やし〉

 重騎士であるアースは素早さを犠牲にした分重みのある攻撃を得意とするタイプのPCだった。そのため自分より素早いPCには苦戦するのだ。

Ashley: 蛇みたいな奴?そいつって銀髪のPC?〉

 一見して忍びを意識しているだろう格好に日本刀と小刀の二刀流という明らかにくノ一のPCが口を挟んだ。アシュレイだ。

earth: そやそや、銀髪の中量級程度の男のPCや。なんやアシュレイ、知り合いなんか?〉

Ashley: いえ、そうじゃないわ。私もそいつと戦ったわ。アースと同じく負けたけどね〉

841: アシュレイ、あなたも?〉

Ashley: そうよ、ログインしてすぐだったから三十分ぐらい前だったかしら。あいつ、フィールド特性も上手く使ってくるもんだから負けちゃったわ〉

 その様子を見た僕は隣に立つEDに秘匿会話モードで尋ねた。

―*: あのアシュレイってプレイヤーそんなに強いんですか?

ED: ああ、今はくノ一みたいな結構怪しいナリだが、前は重騎士なんかやってそこそこ名が知れてた。それになんと言っても841が選んだプレイヤーだからな。

―*: へえ。

 841が一目置くプレイヤーが二人も負けたのだから、その銀髪の剣士は相当な腕なのだろう。

Rocky: なんだ?PKか?〉

 スキンヘッドのPCが誰にともなく尋ねた。それにアシュレイが律儀に答える。

Ashley: いえ、一応決闘を申し込んできてるからPvPだと思うけど〉

PK(プレイヤーキル)とはゲーム世界内での殺人行為で、多くは殺害して奪ったレアアイテムをRMTによって現実の金に変える強盗を目的としている。

PK行為に関連して『ゴールドファーマー』と呼ばれる物価の低い国のプレイヤーによるバーチャル就労、いわゆるオンライン出稼ぎが問題視されており、『ゴールドファーマー』は国内外の犯罪組織と繋がっていると言われ、中国では多くの若者がゲーム内通貨の量産に努めているとされ闇の職として人気が高いらしいそういったPK被害の多いオンラインゲームの中には一般プレイヤーが対RMT業者の自警団を組織し、それに対してRMT業者も用心棒を雇うなど、両者による激しいPK合戦になることもあるという。

Rocky: 俺だったら仕留めてやったのに〉

Ashley: いえ、たぶんロッキーでも駄目だわ〉

 アシュレイの物言いにプライドの高いロッキーが食いつく。

Rocky: なんだ?俺じゃ弱くて駄目ってか?〉

 慌てて取り成すようにアースが口を挟む。

earth: いやそうやなくて、やっこさんはロッキーが苦手なタイプのPCやって言いたいんや〉

 しかし重騎士のアース、汎用型のアシュレイ、接近戦特化型のロッキーのいずれもが負けるであろうPCとは一体どんなPCなのか。僕は少し興味を持った。

DOOM: しかしそいつはどんな奴なんだ?〉

earth: やっこさん、PvPを申し込んできたときしか喋らへんかったし、俺を倒したらさっさと行ってもうたしな〉

Ashley: でも最初に私のハンドルネームを確かめて、それからPvPを申し込んできたわ〉

earth: そういや、俺もや。最初に名前を確かめられたんや〉

ED: つまり偶然居合わせた二人に目をつけたんじゃなく、二人を狙ってたってわけか〉

 これまでの会話の内容をまとめるようにEDがメッセージを表示した。

841: まあそういうことになるわね〉

 ただ単にPvPをしたいのならば専用の場所がソリッドフェンサーにはある。そこならば気兼ねなくPvPをすることが出来るので、フィールドで待ち伏せる必要などはない。つまりアシュレイとアースを狙ってPvPを仕掛けたということだ。とすると、その銀髪の剣士の目的は一体何なのだろうか? 二人の共通点といえばグレイマン同盟ぐらいしか僕には分からない。

Gattsu: しかし続けざまに二人とは、グレイマンの奴を狙ってるのか?〉

 誰しも僕と同じ考えに行き着くようだ。

841: さあ、それは断定できないわね〉

BEBEO: 見つけてとっちめちゃおっか?〉

 小柄な女性型PCの発言に全員がにわかにざわめいた。

 良くない空気だ。このまま襲撃者狩りが始まってしまえば、やがては襲撃者側のギルドとのギルド同士の抗争へと発展しかねない。

 それを沈めたのは841だった。

841: 勝手な真似はして欲しくはないわね、ベベオ。特にグレイマンの名前を使っては〉

BEBEO: でもさ〉

 ベベオは不満そうだったが841はベベオのメッセージを打ち切るようにメッセージを表示する。

841: とにかくその件は保留にしておくわ。今はGvGの事に集中してくれる?もし集中できないって言うのなら抜けてもらうしかないけど?〉

 殺し文句だ。一同は一変し態度を変え、不満そうだったベベオも弁明するようにメッセージを浮かべた。

BEBEO: 私も文句なんかないよ、さあ、練習しよ練習しよ〉

 ベベオは得物の槍を振り回してやる気をアピールする。異論がないか確かめるように全員を見渡し、なにも反応がないことに満足したように841は全員から見えるところへPCを動かし、舞台役者のように言い放った。

841: それじゃあ始めるます。今日は基本戦術と各自の動きを確認するから〉

 841の言葉に15名のPCが動きだした。